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キラキラ2020~

 2020.11.27    神護寺と大覚寺と長居植物園
①神護寺 本当に久しぶりに高雄の神護寺に行きました。紅葉の名所ということで、沢山の人出。ただし、交通の便が悪いので車で来ておられる方が多かったです。駐車場の待ちはなかったです。何せ自然石の石段が多い。上ったり下りたり。若い頃は何とも思わなかったことがもう大変。「かわらけなげ」の場所の近くの茶店の前の紅葉がひときわ美しかったです。②大覚寺 嵯峨菊は天地人(上中下)に花が咲くようにしつらえた1本の菊。沢山の鉢植えの菊がお出迎え。どれだけの手入れをされているのかと、驚きました。コロナのせいで春の時、観光客がなかったせいか、拝観料の仕組みが変わっていました。本堂だけなら500円。お庭拝観は300円。宝物館は300円。まあ、仕方がないことですね。観月会の時の主役になる船が2艘浮かんでいました。③長居植物園 コスモス祭りをしていたので見に行きました。カリンが大きな実をつけていました。秋の風情のパンパスが白い穂を風になびかせていました。コスモスを見るためなのか、沢山の人出でした。
 2020.11.10  飛鳥路  飛鳥は懐かしい場所
 
 2020.10.14~16  船便で鹿児島の志布志港(しぶしこう)へ。電車で宮崎県の飫肥(おび)へ(小京都と呼ばれている町)
2020.10.14 大阪港17:55発の「フェリーさんふらわあ」に乗船。1人往復3万円の乗船代金が3割5分引きに。往復1000円券が4枚いただけるので、食事代や土産代に使用。ちょっと得した気分。大阪から15時間船で過ごし、志布志港着が朝の8:55.タクシーに乗って志布志駅へ(歩く時間を短縮するため)。宮崎県の小京都と呼ばれる飫肥(おび)の町を散策。①田ノ上八幡神社 飫肥の町の鬼門に当たるところに存在。樹齢400年のクスノキは初代藩主の御手植えの木。
②藩校「振徳堂(しんとくどう)」 立派な建物。1831年飫肥藩13代藩主により開校。7歳以上の子弟を教育した。小村寿太郎もここで学んだ。小村寿太郎の胸像が庭に建てられていた。
③服部亭(はっとりてい) 飫肥は杉で有名。その杉で財を成した家。東大に学ぶ息子をこの町に呼び戻し、後を継がせたが、息子の条件は、今学んでいる植物の研究を続けること。本町商店街に今も「服部植物研究所」の建物があり、活動している。
④武家屋敷の町並み  今も手入れの行き届いた立派な町並みが続いている。
⑤飫肥城  天守こそないが、手入れの行き届いた城の中。ここでも飫肥杉が「癒しの杜」として存在している場所がある。城の中に飫肥城歴史資料館があり、昭和53年に開館した。主な展示品は甲冑・刀剣・女乗り物(駕籠)・武具・古文書・衣服など。
⑥本町商人通りの町並み 「食べ歩き・町歩き」のマップを買い、食べ歩いた。一番の名物は「厚焼き玉子」。甘くてプリンのような触感。二番目は「おび天」。さつま揚げ。こってりとした味わい。
⑦小村寿太郎について 桂内閣で2度も外務大臣を務めた。数ある業績の中でも明治38年(1905年)日本側全権としてポーツマス条約(日露講和条約)を調印し、日露戦争を終結に導いたことは、最たるものである。
補足 電車の便が少なく、弾丸の旅。飫肥の町滞在は2時間半の制約がありました。今も、ゆったりとした風格のある町。なかなか足を運べないのが残念です。
 2020.08.27  上千本の竹林院から吉野駅まで歩いて下山
ランチを頂いた後、ゆっくり歩いて吉野駅まで下山することにしました。趣のある家々を右に左に眺めながら、巨大な金峯山寺(きんぶせんじ)に到着。春の桜の時は大勢の花見客やお寺の拝観の方々で賑わう場所。人がいないなんて考えられない光景です。(途中にある花見の名所の吉水神社は後醍醐天皇の行在所(あんざいしょ)でもあり、源義経が隠れた場所。暑さの為、寄り道はしませんでした。)柿の葉寿司で有名な店に立ち寄ったところ、食べごろは常温で明日がいいとのこと。吉野駅の土産物店は訪れる人もなく閑散としていました。
 2020.07.06 長居植物園
 
 2020.06.12 インスタ映えの聖地 瑠璃光院(京都の八瀬)
 
2020.05.17  バラ園にて 
 
 2020.04.15 大和郡山散歩
 
 郡山はなぜ金魚の町なのか?至る所に金魚、金魚。その理由は江戸時代にさかのぼる。江戸時代にあの有名な柳沢吉保の息子、柳沢吉里が甲斐の国から郡山藩主として国替えしてきたとき、金魚を持ってきたと伝えられる。下級武士の内職として金魚の飼育を奨励した。徳川末期から明治初期にかけて、金魚の養殖技術を付近の農家に伝え、日本の主要産地となった。歴史の中では、織田信長の時代に、筒井順慶が築城。秀吉の時代に、秀吉の弟・羽柴秀長が百万石の居城にし、大幅に拡張された。江戸時代、水野氏・松平氏・本田氏などが統治の後、柳沢氏が入り、幕末時代まで続いた。近年、追手門・櫓・天守台などが整備された。
 2020.03.26  飛鳥散策
 
 *コロナウイルスの影響で集まること控えて、一人歩きに切り替え。「飛鳥駅」を11時に下車した人は10人位。
が、石舞台古墳下の芝生広場には、多数の家族連れがビニールシートを広げ、昼食を食べておられました。駐車場には多数の車。
*古墳の形について 
 古墳時代  豪族墓  前方後円墳
 飛鳥時代  天皇陵  天皇の「陵(大王陵)」として八角墳が出現

*欽明天皇陵は「前方後円墳」6世紀後半の築造
  石舞台は「方墳」7世紀初めの築造
  高松塚古墳・吉備姫王墓は「円墳」
  天武・持統天皇陵は「八角形墳」
④について 
 歩く道の左の高台に「俎板(床石)」があり、歩く道のすぐ右に「鬼の雪隠(蓋石)」があります。昔、地震によって、蓋が転げ落ちて上と下が別々になったと考えられます。7世紀中ごろに築造された長方形墳。
⑥について 
 斉明天皇の冥福を祈り、息子の天智天皇が建立したのが創建。今は門や塔の礎石が残っており、
往時は大きな寺だということが分かる。
飛鳥寺・薬師寺・大官大寺とともに、飛鳥四大寺に数えられ、平城京遷都後も飛鳥の地に残った。
 2020.02.20  奈良散策
静かな奈良を求めて、寒いですが奈良へ。奈良駅から 市内循環バスで「破石(わりいし)」下車。①黒川紀章設計の写真美術館へ。入江泰吉記念館とも言います。素晴らしい入江さんの写真が展示されていました。
②隣に鏡神社がありました。その隣に③国宝の新薬師寺。本尊の薬師如来も国宝。12神将立像も国宝です。④志賀直哉が昭和3年自ら設計して建てた邸宅。当時のお金で4万円。今の価格では1億2000万円とか。3人のお手伝いさんがいて、12人座れるモダンな応接間兼ダイニング。茶室もあり、多い時には50人ものお客がきていたとか!志賀直哉邸宅からすぐに「ささやきの小径」に続いています。⑤馬酔木で有名な小径ですが、満開に咲いていたのはわずか3本。3月には満開でしょう。5分歩くと⑥春日大社の二の鳥居に出ます。参道を戻っていくと⑦飛火野(とびひの)に出ます。鹿たちが沢山いました。浮御堂辺りに片岡梅林がありました。